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阿蘇神社の立地

聖線と水

阿蘇神社は「わき水の里」阿蘇市一の宮町宮地の中心部にあります。
なぜ阿蘇神社がこの地に建てられたのか、その理由を水との関係で見ることができます。
仮説の一つとして考えられているものに、北外輪山内壁のすぐ下にある手野の国造神社と阿蘇五岳の最高峰である高岳(標高1592m)を結ぶ”聖線”上にあるということが指摘されています。
この説では、最初に立地した手野の国造神社から阿蘇谷の低地部に下りる必要が生じ、その際、この聖線上にあってちょうど阿蘇五岳の山麓の湧水が豊富に湧き出ていた現在地を選んだということになります。ここからもっと南、つまり五岳の方へ近づいた場所では、火山灰や火山礫が厚く堆積しているため、地表を流れる水は、地下に潜り伏流水となってしまいます。現在でも国道57号線より南側(中央火口丘寄り)では湧水や河川の表流水は見ることができず、水を得るには井戸を掘るしかありません。阿蘇神社の所在地はまさしく中央火口丘の山麓末端部にあり、地下を流れた水が地表に湧き出す場所です。ここは、阿蘇谷開発の原点で豊かな水の湧く手野の国造神社と、火を噴く阿蘇山上を結ぶ聖線の中間点でもあります。ただ、中間点ということは、地図で見ると手野と阿蘇神社の方が阿蘇神社阿蘇山上に比べて距離が少し短い。正確な地図がなかった大昔は、図に示したように聖線を具体的に見ることは出来なかったはずです。しかし、古代人が相当正確な方位などを測定していた証拠は有ります。大和では、古代人は太陽が昇る方向にある山や太陽が沈む方向にある山などを結んだ線を宗教的な意味を持った線として重要視していたことはよく知られています。このような洗浄には由緒ある古いお寺や神社、盤座(いわくら)、古墳などの史蹟が並び、祭りや崇拝が行われています。このように古代人は、古くから太陽信仰や中国の風水思想を取り入れていたため、天文学や測量術が発達していたことは容易に想像できます。


阿蘇神社は、健磐龍命をはじめ十二神を祀る格式の高い神社です。当初は、火を噴き煙を吐く荒々しい阿蘇の火の神の怒りを鎮め、世の安寧を願う火山神としての性格を持っていました。しかし、実はこの「火」と対照的な「水」に関わる神を祀る神社であったことも忘れてはなりません。日向の国から阿蘇に入った健磐龍命は、火の神を鎮めるために祈るとともに、火の山が平穏な時には妃や御子達とそれまで湿地で不毛の地であったと考えられる阿蘇谷の開拓にあたり、ここに立派な農地を造成した開拓神・農業神としての性格を持っています。また、農業にとって最も必要なのが水です。阿蘇の神は、龍となって雨を降らせ、この水を支配するとともに雨、風、霜、日照りなどの自然災害から民を守ったため民心を掌握し、阿蘇神社は神々としての尊崇を集めてきたのです。
一方、阿蘇北外輪山の麓にある国造神社は、阿蘇神社から見るとちょうど北の方角にあたるので、北宮と呼ばれています。ここには健磐龍命の御子である速瓶玉命とその妃の雨宮媛命それに第二子高橋神、第三子火(日)宮神が祀られています。速瓶玉命は、父神とともに阿蘇外輪山から流れ出す宮川の水を支配して平等に配分し、田に水を引くなど農業を盛んにしました。つまり水分(みくまり)の性格を持つ神で、そのことによって民心の掌握と開拓の推進にあたりました。このように阿蘇神社は、阿蘇高岳と国造神社を結ぶ聖線上にあって、豊かな水に恵まれた場所、という条件が合うところに立地したという推定は、充分に説得力があります。また、忘れてはならないのが、農業は極めて高い次元の計画性に富んだ産業であるということです。一年のうちでいつ田畑を耕し、水を入れ、種を蒔き、草を取り、虫、風、霜の害から守り、そして収穫するという一連の作業を行います。そのためには農業カレンダーが必要で、国の重要無形民族文化財に指定されている阿蘇神社の一連の農耕祭事は、農作業の時期を教える重要な祭りとなっています。

南郷谷に延びる聖線

手野の国造神社ー宮地の阿蘇神社ー高岳の線を南郷谷まで延長すると、白水村の白川水源(白川吉見神社)にあたります。ここは毎分60㌧といわれる地下水の湧出地で、昭和60年に環境庁が選定した全国の「名水百選」の一つに選ばれ、多くの観光客が訪れている場所でもあります。湧水地の一角には江戸時代中期の元禄年間(1688~1704)に肥後藩主細川綱利が造営した白川吉見神社が鎮座しています。南郷谷に数多く存在する湧水群の一つで、一級河川白川を代表する水源として、また肥後養田の源神として崇敬されています。
この線を更に南へ延長すると、南外輪山の内壁中腹にひっそりと建つ久木野村久石の清水寺に行き着く。この寺は南郷谷の久木野村から外輪山を越えて上益城郡矢部町に至る県道沿いにあり、近年道路が整備されて行きやすくなりました。清水寺の創建は、この寺の縁起や言い伝えによると聖武天皇の御代(724~756)奈良の東大寺が創建された頃、この地を訪れた僧行基が開基(*寺院を創始することを指す仏教用語)したといわれています。境内には豊富な湧水が見られ、また雲龍山清水寺という水にちなんだ名前を持っています。

参考

阿蘇一の宮町史 阿蘇山と水

カテゴリ : 文化・歴史
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