ホーム > 阿蘇神社

阿蘇神社

 阿蘇神社孝霊天皇(こうれいてんのう)9年の創建}という社伝(しゃでん)を持ち、古くは「肥後一の宮」と呼ばれ、豊前(ぶぜん)(大分)の宇佐神宮(うさじんぐう)、筑前(ちくぜん)(福岡)の宗像大社(むなかたたいしゃ)とともに九州を代表する名社です。縁のある末社は県内に461社あり、県外でも62社を数え、創建以来祭祀(さいし)を司(つかさど)ってきた&ruby(ぐうじ){宮司(そうけん)の阿蘇惟之氏は、第91代目にあたります。

 阿蘇神社に集約される阿蘇信仰の原形は、神霊池(噴火口)への火山信仰(託宣神(たくせんのかみ))と地域神(農業神)である阿蘇都彦(あそつひこ)・阿蘇都媛(あそつひめ)の信仰が合体し、祭神健磐龍命(たけいわたつのみこと)の出現によって完成したと考えられています。中岳火口と手野の国造神社を結ぶ直線(聖なるライン)の中間点に、社殿がそれに沿い横参道をもって平安の都に向かい、護国救民の神として鎮座した造りであると伝えられています。

 康保4年(967)に施行された古代の制度である『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)には、肥後国から名神大社の健磐龍命(たけいわたつのみこと)神社・阿蘇比咩(あそひめ)神社・国造(くにつくり)神社の3社と玉名の疋(ひき)野(の)神社の4社があげられ、阿蘇3社は国家の尊崇を受けるにたる縁起と格式を認められていたことを示しています。

 中世では、現在の阿蘇郡市は阿蘇氏の治める社領と考えられ、大宮司として勢力を広げていきました。神社も草部(くさかべ)吉見(よしみ)神等の地域の神々と結びついて発展し、中央政権との関係を深めるため、最後の祭神金凝神(かなこりのかみ)(綏靖(すいぜい)天皇)を入れた十二神体制が12世紀前半までに確立されました。

 戦国時代の動乱では、神社を支えていた大宮司の政治力が消滅し、近世の再生後も厳しい状況が続きました。しかし、肥後国を代表する神社としての地位は変わらず、大正3年(1914)に官幣大社となりました。

 阿蘇神社に伝わる農耕祭事は、「阿蘇の農耕祭事」として国の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に指定されており、3つの神殿と諸門は市の有形文化財に指定されています。また、奉納(ほうのう)された刀剣等(とうけんとう)の工芸品や今に伝わる古文書・出土品は、研究者から高い評価を受けています。

所在地情報

標高520m 北緯32° 56′ 53″ 東経131° 6′ 58″(60進法表記)

写真

資料

阿蘇神社境内図

中世の阿蘇神社を描いた絵図

動画

阿蘇神社の神事「雷除祭」


カテゴリ : 文化・歴史
索引 :
関連語句 : 指定文化財リスト

TOP