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阿蘇市/概要

概要

阿蘇市は、熊本県の北東部、阿蘇地方の中央部に位置し、東は大分県竹田市、西は菊池市大津町、南は阿蘇五岳(あそごがく)を挟んで南阿蘇村高森町、北は南小国町産山村・大分県日田市が隣接(りんせつ)しています。

人口は28,444人で世帯数は10,100世帯あり(平成22年国勢調査)、人口の減少と少子高齢化が進んでいます。気候は、年平均気温約13℃、年間降水量約3,000mmであり、四季を通じて比較的冷涼で多雨な地域です。

規模は、東西約30km、南北約17km、面積約376.25㎢で、阿蘇五岳を中心とする世界最大級のカルデラや広大な草原を有し、比較的平坦地の多い阿蘇谷(標高約450~550m)と、起伏に富み傾斜地の多い阿蘇外輪山(標高約800~1000m)で形成されています。

また、この地域は「阿蘇くじゅう国立公園」に指定されており、あか牛が群れを成す独特(どくとく)の風景や、オオルリシジミヒゴシオンなどの阿蘇特有の希少(きしょう)な動植物が生息するなど、自然環境が大変豊富です。

主な産業は、平坦地では稲作や園芸作物、山間地では高冷地(こうれいち)野菜(やさい)等を生産する農業と、世界の阿蘇を舞台とした観光業です。

阿蘇市の将来像は、「緑いきづく火の神の里~豊かな自然と笑顔あふれる国際(こくさい)環境(かんきょう)観光(かんこう)都市(とし)を目指して~」です。実現に向けて地域の特性を活かしながら、均衡(きんこう)のとれた新しいまちづくりを進めています。

名前の由来

阿蘇の名前の由来は、『日本(にほん)書紀(しょき)』という書物に次のように紹介されています。

『景行天皇(けいこうてんのう)は阿蘇にやってきました。阿蘇は野原が遠く広がり、人家が見えませんでした。天皇は、「この国に人がいるのか。」と言われます。すると、阿蘇都彦(あそつひこ)・阿蘇都媛(あそつひめ)という二人の神が現れて、「私たち二人がおります。なぜ人がいないと言われるのですか。」と答えました。そこで天皇は、阿蘇という地名を名づけました。』

また、仏教大辞典によれば、阿蘇の語源(ごげん)は古代インドの神「阿修羅(あしゅら)」からきているとされています。阿修羅は阿素洛(あそら)とも書き、阿修羅の山が「阿蘇山」ということです(熊本日日新聞社発行『新阿蘇学』)。

歴史

原始・古代

約27万年前から阿蘇火山が活動を始め、4回の大きな噴火(ふんか)を起こしました。

約9万年前の4回目の噴火により、現在の阿蘇カルデラが形成されました。

噴火する山は神の住む山として恐(おそ)れられ、中国の隋(ずい)の時代の書物(しょもつ)にも紹介されています。

そして、象ケ鼻遺跡(ぞうがはないせき)や大観峰遺跡(だいかんぼういせき)などにより、旧石器(きゅうせっき)時代(じだい)の約3万年前から人々の痕跡(こんせき)が外輪山などの高原地に見られるようになりました。

縄文(じょうもん)時代(じだい)には高原地から外輪山内側の麓(ふもと)に遺跡が見られるようになり、次第に阿蘇谷の平野部へ移動しています。

弥生(やよい)時代(じだい)には大規模な集落が平野部に発見され、米作りも行われているようです。

古墳(こふん)時代(じだい)には、阿蘇の開発者と伝えられる阿蘇(あそ)の君(きみ)が大和(やまと)朝廷(ちょうてい)と結び阿蘇(あその)国造(くにのみやつこ)に任命され、県内最大級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が造られました。

律令(りつりょう)社会(しゃかい)では役犬原(やくいんばる)に郡衙(ぐんが)(郡役所)があったと伝えられ、阿蘇谷一帯は阿蘇(あそ)郷(ごう)と称され条里制(じょうりせい)が実施されていました。

中世

古代から信仰されていた阿蘇神社の神職の長、阿蘇(あそ)大宮司(だいぐうじ)は広大な阿蘇荘の領主でもありました。

阿蘇氏は、源平(げんぺい)の内乱(ないらん)や南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい)の戦乱(せんらん)時(じ)に菊池氏とともに九州の豪族(ごうぞく)として活躍し、阿蘇・益城両郡を中心に勢力を広げ、肥後の有力な大名(だいみょう)へと成長していきます。

また、中岳の西側には、36坊(ぼう)52庵(あん)と称される山岳(さんがく)信仰(しんこう)の一大(いちだい)宗都(しゅうと)「西巌殿寺(さいがんでんじ)」が栄えました。戦国(せんごく)時代(じだい)には、島津軍の侵攻(しんこう)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州(きゅうしゅう)征伐(せいばつ)にあい、佐々成政(さっさなりまさ)、加藤清正(かとうきよまさ)の統治(とうち)を受けました。

近世

鉄道は、大正7年(1918)に立野(たての)~宮地(みやじ)間が開通し、昭和3年(1928)には宮地~玉来(たまらい)(大分県)間が開通しました。

これにより豊肥(ほうひ)本線(ほんせん)(熊本~大分)が全線開通し、交通が大変便利になりました。

また、明治22年4月1日の市制(しせい)・町村制(ちょうそんせい)施行(しこう)により、古城(こじょう)村(むら)・坂梨村(さかなしむら)・中通村(なかどおりむら)・宮地村(みやじむら)(明治34年1月1日に宮地町)・内牧村(うちまきむら)(明治39年8月1日に内牧町)・尾ヶ石村(おがいしむら)・永水村(ながみずむら)・黒川村(くろかわむら)・山田村(やまだむら)・「波野村(なみのそん)」が成立しました。

昭和29年4月1日に、宮地町・古城村・坂梨村・中通村が合併して「一(いち)の宮(みや)町(まち)」が成立し、内牧町・尾ヶ石村・永水村・黒川村・山田村が合併して「阿蘇町(あそまち)」が成立しました。そして、平成17年2月11日に、一の宮町・阿蘇町・波野村が合併して『阿蘇市(あそし)』が誕生し現在に至っています。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-

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