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阿蘇家文書

市指定有形文化財 「阿蘇家文書」「阿蘇神社文書」「西巌殿寺文書

 「古文書」とは、歴史の証拠にもなる過去の文書のことで、差出人が特定の受取人に対し、意志や用件などを伝えるために作成されたものです。

 さて、「阿蘇文書」とは、昭和7年に東京大学史料編纂所により刊行された『大日本古文書家わけ第十三 阿蘇文書』に収録されている「阿蘇家文書」「阿蘇神社文書」「西巌殿寺文書」「満願寺文書」等のことです。時代は平安末期から幕末期にわたり、県内最大の貴重な中世文書群です。

 「阿蘇家文書」「阿蘇神社文書」は、阿蘇神社神主の阿蘇家に代々伝わっていましたが、昭和30年代に「阿蘇家文書」の大部分が熊本大学の所有となりました。熊本大学所有分は34巻の巻物と36冊の写本として、昭和62年に国の重要文化財に指定されています。

 「西巌殿寺文書」416通は、23巻の巻物として西巌殿寺に保管されています。最も古い文書は、僧永圓(そうえいいん)の「舞楽(ぶがく)具足(ぐそく)注文(ちゅうもん)」で元応元年(1319)に書かれた文書になります。その後は南北朝時代となり、南朝方の貴重な文書が多く残されています。

 阿蘇神社西巌殿寺には、これら以外にも主に江戸時代の未解読文書がまだまだ沢山あります。阿蘇神社の文書については、一の宮地区の古文書講座により解読を進められています。西巌殿寺の未解読文書の大部分(約350冊)は、熊本大学に寄託保管されています。阿蘇町史編纂時には、これらの文書を鋭意解読に努め活字化し、その一部は町史編纂に利用されましたが、「学頭坊日記録」を中心に衆徒年行司・行者年行司記録等、膨大な文書群であり、その活字化は一人二人の解読では何年かかるか分からない状態であります。

 ところで、安土桃山時代に加藤清正が阿蘇神社の再興を許し、同時に麓坊中も取立て約千石の領地を寄進したことがあります(「みんなで護ろう文化財」第4・5号参照)。これが現在の阿蘇神社西巌殿寺の基礎となりますが、このような歴史も古文書があればこそ、その真実を知ることができるわけです。

 「古文書」と呼ばれている文書も、書かれた時代には一般に読まれ、現代の手紙と同様お互いに意思の疎通ができたものです。読めない人にとっては、どんなに貴重なものといわれても、紙くず同様で宝の持腐れですが、先祖代々大事に保管されて来たこれらの文書は、きっとその家にとっては大事な物であったことでしょう。しかし、残念ながら最近は色々の事情から廃棄焼却される古文書が多いようです。“日暮れて道遠し”の感じではありますが、古文書を読める方が一人でも増えれば、それだけ廃棄される古文書も減ることだろうと、その養成に努力しているところです。

写真

西巌殿寺文書」416通23巻

足利高(尊)氏軍勢催促状(髻文)

参考

~文化財を大切に~  みんなで護ろう文化財



カテゴリ : 文化・歴史
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