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鏡ヶ池

概要

小国両神社の西、約300mにあり、大ケヤキの根本から清水が湧き出でています。
この池には12の鏡が沈められており、その日の湧水(ゆうすい)の状況により、砂の中に見え(かく)れします。もし、12体全て見えると災害が起きるといわれています。この鏡は平安時代のものでしたが、現在は当時のものが3枚残るのみです。(池にあるのは全てレプリカ)池の前には細川護久(ほそかわもりひさ)が建立した「鏡ヶ池」という碑が立っています。
池の後側に川が流れています。江戸時代細川藩(ほそかわはん)の上納米蔵が付近にあり、この川は火災に備えて作られたものだと伝えられています。最近まで細川氏の家紋(かもん)である九曜の紋が描かれた土蔵建ての倉がありましたが、現在はありません。

鏡ヶ池の伝説

醍醐天皇(だいごてんのう)の頃(在位期間885年-930年・崩御(ほうぎょ)930年10月23日)少納言(しょうなごん)清原正高と醍醐天皇の(まご)に当たる小松女院は恋におちました。そのことがうわさになり正高卿は豊後国(大分県)へ、小松女院は因幡国(いなばのくに)(島根県)へ流されてしまいました。正高卿を忘れられない小松女院は侍女、従者を従え豊後を訪れましたが、正高の行方はしれません。流浪の末、小松女院らは小国(熊本県)へたどり着きました。そこで古い(ほこら)の下に清水の湧く泉があり、そこに女性の魂である手鏡を投じて再開できるように祈りました。切なる女院の心を思った11人の侍女もこれに従い、鏡を投じて祈りました。
後日村人たちはこの鏡を見て「鏡が池」と呼ぶようになりました。
その後、小国を後にした女院は玖珠(くす)(大分県)へ向かいました。
途中、小田村の三日月滝で一人の木こりに出合い、正高卿の消息を尋ねたところ、すでに正高卿は土地の豪族(ごうぞく)の娘と結婚しており、子どももいるということが分かりました。
嘆き悲しんだ小松女院は侍女達11と共に、三日月滝に身を投じました。そのことを後になって知らされた正高卿は女院達を手厚く(ほおむ)ったそうです。

所在地

熊本県阿蘇郡小国町宮原

参考

熊本県

カテゴリ : 阿蘇の自然
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