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農業・林業・畜産業

食料増産と阿蘇開発設立

阿蘇町の農業は、戦後の混乱期における食糧増産から始まり、農村生活の近代化に向け、新技術の導入や規模拡大による自立経営体農家の育成等を実施し、農畜産物の安定供給と農家の経営基盤の強化を推進してきました。
農業関係では、戦後、増加する人口と低下した生産力を背景に「食糧増産」が図られ、昭和30年代初めには山田地区で地下用水を利用した新田が50㌶開田されます。30年代半ばになると、栽培技術の向上、立地条件に適した作物の振興を図るため、県下初の農事センター「阿蘇町農事センター」を建設します。
昭和37年10月赤水でアスパラガス、トマト、竹の子の缶詰等を生産し、阿蘇地域の農家所得増大に一役を担うものとした農産加工会社「阿蘇開発」起工式が行われ、3月に工場が完成。しかし、アスパラガスが阿蘇地方での新規導入作物だったことや夏季多雨で病害虫の発生が多かったなどの悪条件が重なったため、昭和45年9月に解散することとなりました。

規模拡大進む畜産業

阿蘇では古くから牛馬の飼養が盛んで、特に牛については役肉兼用種として飼養されてきましたが、現在のような肉畜生産が主流ではなく、おもに役畜として飼養されていました。一軒あたりの飼養頭数も少なかったため、原野も採草放牧地として利用されましたが、ほとんどが生産性の低い野草地を利用したものでした。
当時、阿蘇郡内に広がる広大な原野の利活用を図るため、国内外の専門家の指導助言を受けながら、昭和27年4月に大観峰の西斜面及び新宮牧場に改良地を設け開発試験を開始します。
開発試験は、飼料作物の栽培のほか、野草への施肥試験等の研究結果をもとに、その後の大規模な草地造成事業への基礎となるものでした。
昭和33年の高度集約牧野造成改良事業を皮切りに、その後大規模草地改良事業等の数多くの事業に取組み、積極的に草地改良事業を推進します。その結果、牧草の収量及び栄養価の増大が図られ、放牧期間の延長及び大型機械による牧乾草やサイレージ等の冬季飼料の確保が可能となり、飼養規模の拡大が図られるようになりました。

第10回草地コンクールで天皇杯受賞。(昭和47年7月)

効果をあげる分収林

林業では、昭和20年代後半から国、県、町、あるいは森林組合、国土緑化推進委員会等が中心になり、造林意欲の高揚、拡大造林の推進等を実施します。昭和30年代は造林面積も年々増大し、木造需要拡大に伴う立木、原木が値上がりしました
昭和30年代初め、多くの行政区と分収契約が締結されます。植林から伐採までの60年間をひと区切りにしているケースが多く、現在もなお、継続した管理が実施されています。


~分収林とは~
行政区等の地域に関係の深い山林を、契約に基づいて関係する住民の方々等が管理する山林。管理の大小として伐採時の収益を関係者で分ける仕組みになっています。

土地基盤整備の推進

昭和24年に「土地改良法」が制定され、地主中心主義から耕作者中心に改めることとなりました。それに伴い農業基盤整備事業が始まり、昭和30年代から全国的にほ場整備事業・農道事業・排水対策事業が主流となってきました。また、昭和36年に「農業基本法」も制定され、生産性向上による農業所得の増大により、農業の発展と農業従事者の地位向上を図るため農業構造政策の一環として農業構造改善事業が始まっています。
阿蘇町においては、阿蘇谷のほ場整備の先導的役割を果たしたのが、農業構造改善事業によるほ場整備事業でした。
まず、昭和42年から狩尾千町無田地区の水田25.6㌶を農業構造改善事業ではほ場整備に着手します。超湿田地帯で難工事でしたが昭和44年に完成します。また、一の宮町でも同事業によるほ場整備を行い、阿蘇谷地区のモデルとしての役割を果たします。これらにより、阿蘇谷地区県営ほ場整備事業への取り組みが盛んとなり、一の宮、阿蘇町、長陽村(約3,356㌶)の3町村に及ぶ、大規模なほ場整備を計画、昭和44年に事業選択となっています。
同年、農林省が現地調査を行い、昭和46年から県営阿蘇谷地区大規模ほ場整備事業が本格的に始まります。
第9
第9換地工区(山田)第14換地工区(乙姫、狩尾)第17換地工区(赤水、車帰、長陽村一部)を手始めに、約2,527㌶の整備が開始されています。工事途中の昭和49年、赤水地区において火山地帯特有の強酸性土壌水田が現れ、水稲が枯死するという問題も発生しましたが、農業試験場等関係機関の努力と指導により石灰の大量投入を行い事業を遂行しています。さまざまな問題等を抱えながらも平成8年に完了公告を行っています。事業完了後、区画・道路・用水路・かんがい排水事業が完了し、特殊土壌・湿田の解消により汎用耕地の確保と共に、大型営農機械の導入により、農業経営の安定化が図られることになりました。

米の生産調整

昭和46年には、政府が過剰米を大量に抱え込み食料管理特別会計が大幅な赤字となりました。その解消を図るために米の生産調整が着手され、稲作転換対策が開始されました。以降、制度の変更等を繰り返しながら現在に至るまで生産調整が続くことになります。
生産調整とじきをおなじくして、昭和40年代に入ると花卉の栽培が導入され始めます。生産調整により野菜志向農家の増加など。新たな農業経営の展開が図られます。
林業関係では、昭和36年頃から外材の輸入開始で、安い外国産木材に押され、国産材の価格は下降し、従事者不足から人件費は上昇し、結果として管理不足による荒廃した山林が目立ってきました。

草地畜産高等研修所が開所

昭和45年4月、国の大規模草地開発にともない、西湯浦に草地畜産高等研修所の建設が始まり、翌年4月に第1期生が入学しました。
昭和41年から本格着工された阿蘇北外輪国営草地改良事業により、北外輪山に5つの酪農団地と7つの肉用牛団地の大規模な草地造成を行い、併せて酪農団地から搬出される牛乳の運搬道路として昭和46年3月には、阿蘇北外輪広域営農団地農業整備事業(通称ミルクロード)の建設が始まります。
酪農団地には、大型装置管理機械やミルキングパーラー等当時の最新技術が導入され、搾乳頭数も順調に推移しました。しかし、昭和40年台後半から、改良装置内の不良雑草による生産力の低下、牛乳の生産調整と乳質管理の強化などで、草地酪農に対するメリットが低下、徐々に酪農経営から転換を図る団地も出始めていきました。
また平野部でも耕運機を主体とした農業機械の普及で役畜としての役割が減少したことや、園芸作物等に多くの農家が労働力を割かれたことなどから、牛を手放す農家が増え、この頃から飼養個数の現象が続いています。

コシヒカリ導入

昭和56年にコシヒカリが2㌶試作導入され、昭和57年度から本格的な生産普及、生産安定技術の普及が図られました。収量と品質に優れた良食米として、農家の生産意欲も高く、昭和63年度には1,158㌶まで拡大します。こうしてコシヒカリの主産地として確立することとなりました。
平成15年には、主要作物のコシヒカリを「阿蘇コシヒカリ」として上場、その地位を確立します。

連棟ハウスの導入進む

野菜についても、昭和50年代に入ると阿蘇特有の火山灰など天候・天災などによる生産の不安定な露地野菜から、50年代中期頃より導入が始まった雨よけ施設の普及により夏秋トマトや春夏メロンといった施設野菜が増加することとなります。
施設野菜は冬場の作物としてイチゴの単棟ハウスが主流でしたが、生産の安定と所得向上を図るため、平成3年度から連棟ハウスの導入が始まります。トマトについても昭和60年に品質の均一化、一括集出荷を目的として役犬原に野菜集出荷場、昭和62年には温泉熱を利用したバラ栽培施設等の整備が図られます。
なお、同年にはトマトの栽培面積が44㌶(メロン栽培面積も含む)にまで拡大し、最盛期には約220戸の農家がトマトの栽培を行いました。

全国植樹祭

昭和60年5月12日、昭和天皇をお迎えし、阿蘇市蔵原の阿蘇みんなの森で「第36回全国植樹祭」が開催されました。国内はもとより海外からの参加者2,500人を含めた12,000人が参加、昭和天皇が杉の苗3本とクスの種子をそれぞれ植樹されました。
適正な森林の整備により国土の保全、水資源のかん養、保険休養の場の提供、自然環境の保全、地球温暖化の防止等、森林の持つ多面的機能の発揮のため、森林をどのように整備・保全していくかが課題です。その中で、植栽、下刈り、除・間伐、それらを実施するための林道の整備が重要と考えられてきました。本市も昭和60年に林道竹原高塚線、昭和61年に林道瑞辺大鶴線を新設し、適正な森林整備を図っています。

大規模な農業被害

平成元年、農畜産物集出荷貯蔵施設の開設により野菜等の出荷・貯蔵の充実が図られました。
翌平成2年4月20日、阿蘇中岳第一火口の噴火とその後の断続した降灰の影響により、農作物の生育不良を招きました。加えて堆積していた降灰に7月2日の記録的な集中豪雨が重なり、未曾有の大災害が発生します。阿蘇町では農業関連被害6億8,831万円もの多大な被害を受けました。

阿蘇の特産品を商品化

昭和50年代から60年代にかけて飛躍的に伸びを見せた施設園芸も農家戸数の減少に伴い、平成4年には鈍化傾向にありました。そのため
、経営改善を図るため加工原料となる新商品への取り組みが必要となり、個性ある特産品づくり推進事業による農産物加工場の整備や、加工品の試作研究を進めます。こうして、阿蘇の特産品として「赤ど漬け」の商品化が実現します。
平成10年の生産調整対策の見直しに伴い、国内自給率の少ない麦・大豆を奨励することとなります。従来の作業(刈払い機、自走式脱粒機による収穫)では拡大する面積の確保が困難となり、大豆の刈り取りも可能な汎用コンバインを生産総合対策事業で導入し、適期刈取りによる品質の向上及び増収と労力の低減を図っています。

参考

阿蘇町のあゆみ
九州農政局



カテゴリ : 阿蘇ジオパーク
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