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観光と防災

防災とあゆみ

阿蘇山上への人の接近は大変古く、古坊中の成立については、神亀3年(726)展示毘舎利国の最栄読師が来朝し、阿蘇山十一面観音像を安置したという説と比叡山慈恵大師の徒、最栄が、天養6年(1144)に阿蘇大宮司友孝に請うて阿蘇山に住み、法華経を読誦したという説があり、どちらが正しいかは定かではありません。阿蘇山に僧侶が居住したことを示す一番古い文書記録は、建久6年(1195)とされています。その後、15世紀半ば室町時代までには、古坊中を中心に37の坊中が成立していました。それらの坊は、阿蘇山を訪れる人々の宿坊としての機能も持っていたと考えられています。
まだ、道路が開通していなかった昭和の初めにはすでに年間20万人が訪れており、昭和5年(1930)には山上に郵便局も開設されています。昭和6年(1931)には、専用道路が開通しました。この道路開通は、バスという大量輸送手段による登山に道を開いたという意味で画期的なことでした。昭和32年(1957)には坊中線の舗装有料道路(現在無料)の営業が始まり、昭和41年(1966)に赤水線が開通、昭和51年(1976)には南郷谷側から吉田線が開通しています。その間、さまざまな観光施設が整備され、現在では年間約300万人にのぼる観光客が訪れる我が国の代表的な観光地となっています。
阿蘇の観光資源において、カルデラ周辺の雄大な草原と牧歌的な風景が大きな魅力となっていますが、噴煙をあげる中岳火口を覗くことができることで観光客を引きつける大きな要因となっています。このため、火口周辺には観光客をはじめ、観光施設や建物が集中することとなり、必然的に火山活動に伴う人的・物的被害が生じています。噴火の記録を見ると、西暦1900年以前にも人的被害が出ていますが、参拝者や硫黄採掘者などで、いわゆる観光客ではありません。
中岳は活動の活発な時期には灰噴火やストロンボリ式噴火を生じ、スコリア、火山弾、火山灰を噴出させます。このような時期は噴火は穏やかで、しかも火口からほぼ1㌖の範囲の立ち入りが規制されるのでむしろ安全です。しかし、防災上注目すべきことは、火口閉塞中の水蒸気爆発とそれに伴う低温火砕流の発生であり、それらは火口周辺の観光客や観光施設に重大な被害を与えることがあります。昭和33年(1958)と昭和54年(1979)の爆発的噴火では、規模は小さいものの低温火砕流が発生しました。低温火砕流は建物に側方から侵入し被害を与えることがあります。
阿蘇火山の防災についていろいろな対策を検討し、災害の防止・軽減に努めている期間として、阿蘇火山防災会議協議会があります。同協議会は、災害対策基本法の規定に基づいて、昭和42年(1967)に組織されました。その目的は、「阿蘇火山爆発に際し、登山者および地域住民等の生命、身体、財産の保護に関する防災計画を作成し、同法に基づく必要な要請、勧告又は指示等を行うこと」です。
以前は、ロープウエーの火口東~火口西駅間にマウントカー道路が走り、第1火口西側一帯まで観光客が入っていました。しかし、昭和54年(1979)の噴火以降、同協議会は火口周辺、特に第一火口縁への立ち入りを全面的に禁止するという、より安全に考慮した規制を始めました。また、火口付近でのガスが要因と考えられる死者が平成元年以降に7人出たことから、平成10年からは火口周辺のガス濃度の監視を強化しました。さらに、昭和55年(1980)に改定した防災計画をより安全な方向に見直し、平成11年(1999)4月から新たな計画をスタートさせています。その中で、火口周辺において、ガス濃度や地形を考慮したゾーン区分を行い、きめ細かい立ち入り規制を実施すると同時に、パンフレットなどでも観光客へ注意喚起を行っています。

立ち入り規制図

災害の歴史

発生年西暦噴火と被害の様子
昭和2年1927噴火:4~5月に数回噴火、降灰。農作物に被害
昭和4年1928噴火:4月11日第4火口で噴石。7月26日第2火口に新火口、噴煙、10月降灰多量。農作物被害。牛馬倒死
昭和7年1932噴火:12月第1火口赤熱隕石・降灰。空振で測候所の窓ガラス破損。河口付近で負傷者13人
昭和8年1933噴火:近年の大活動。2・3月第2・1火口活動多量の赤熱噴石と降灰。降灰被害も広範囲
昭和15年1940爆発:4月負傷者1人。八月降灰多量、農作物に被害
昭和22年1947噴火:5月第1火口噴火、降灰砂多量。農作物、牛馬200頭余り死亡
昭和28年1953爆発:4月27日第1火口爆発、死者6人、負傷者90余人
昭和33年1958爆発:6月24日夜第1火口爆発、降灰多量、山上広場に低温火砕流、死者12人、負傷者28人。山上広場の建物に大被害
昭和40年1965噴火:10月31日第1火口爆発的噴火、建物に被害
昭和49年1974噴火:4~8月第1火口噴火、降灰、農作物に被害
昭和54年1979爆発:6~11月第1火口噴火、降灰950万㌧、農作物に被害。9月6日爆発、北東方向に噴石と低温火砕流、火口東駅付近で死者3人、負傷者11人
平成元年1989噴火:降灰多量、農作物被害。白川の魚大量死。1人死亡
平成2年1990噴火:4月20日爆発的噴火、火山灰120万㌧。火砕サージ発生。降灰多量、農作物被害。着灰で一の宮町を中心に3,700戸停電。3人死亡
平成6年19941人死亡
平成9年19972人死亡

参考

阿蘇火山の生い立ち

カテゴリ : 阿蘇の自然
索引 :

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