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知事の塔

区分所在地備考
市指定史跡波野大字中江 荻岳山頂明治6年11月建立
市指定史跡波野大字笹倉明治16年5月建立
市指定史跡波野大字小地野明治16年4月建立
市指定史跡波野大字赤仁田
市指定史跡波野大字楢木野明治3年7月建立
湯浦 湯浦八幡宮境内

※そのほか産山村や大分県に4ヵ所確認されています。

 明治の日本は世の中を革新する重要な転換期で、明治維新と呼ばれるように様々な改革が行われました。熊本でも、凶作により都市や農村の荒れ果てた状況もありましたが、積極的に改革が推進され、後に「肥後の維新」と呼ばれています。

 その中心的な政策として、明治3年(1870)7月17日、細川護久知事は、税金の三分の一にもあたる大減税と夫役(ぶやく)(労働)の免除を決定し、人々の生活の安定を図りました。人々は大いに喜び、九曜(くよう)の紋(もん)(細川家の家紋)と布告文を刻んだ「知事の塔」を建立し、知事様祭りを行って知事への感謝の気持ちを表しました。この大減税は、大分(おおいた)の人々にも影響を与え、減税を求める住民運動が起こったほどです。

 また、知事の塔は様々な名前で呼ばれており、産山村では「細川知事塔」と刻まれていますが「チイ様塔」と呼ばれ、「チイ様祭り」が行われていました。波野地区でも「チシさん」「チイさま祭り」と呼ばれていたようで、研究者の間では「知事様塔」「知事塔」と呼ばれています。

 知事様祭りは、各地で多少時期は異なります。笹倉では「チッさまの祭り」が秋の収穫の後にあり、子どもたちも参加する楽しみな年中行事だったようです。昭和18~19年頃までは盛んに行われていましたが、物不足で祭りや行事ができなくなっていきました。

 最後に、地域の御大師様・山の神様・水の神様・氏神様等は、心のよりどころとして先祖代々見守りまつられてきた大切なものですが、時代が進むにつれて祭りや行事が薄らいでいる傾向にあります。世に奮い起こし、地域社会の発展に寄与されればと願うものです。

写真

小地野

笹倉

荻岳 

赤仁田

楢木野

参考

~文化財を大切に~  みんなで護ろう文化財



カテゴリ : 文化・歴史
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