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徳富蘇峰

概要

文久3年(1863)1月25日~昭和32年(1957)11月2日。評論家、歴史家。本名猪一郎。水俣市生まれ。
横井小楠門下の一敬を父とし、文学者蘆花は弟です。熊本洋学校に学び、花岡山の熊本バンドに参加。その後同志社に学ぶが中退。明治13年(1880)帰熊し、民権運動に参加、「東肥新報」などに執筆。15年大江義塾を開きました。19年、24歳のとき「将来の日本」を出版し、日本の論壇に登場、上京して民友社を設立しました。20年に「国民之友」、23年に「国民新聞」を創刊、平和主義を主唱し、門下から優れた文学者を世に送りました。日清戦争後、三国干渉の苦い経験をなめ、国家主義者へ転じた。30年内務省勅任参事官に就任し、世間から「変節者」として避難を浴びました。44年、貴族院議員に勅選、政治的には桂太郎を支持し新党設立にも参画。日比谷焼き打ちに遭った。桂の死後は政治から身を引き、著述活動に専念し、大正7年(1918)から「近代日本国民史」の著述に着手。7月から「国民新聞」に連載された。昭和4年経営不振のため国民新聞社を退き、「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」の社賓に招かれ、以後「近世日本国民史」は両紙に連載され、35年の歳月をかけて、27年完成しました。
大正期から昭和にかけて、皇室中心主義を主唱、17年に大日本言論報国会会長、18年文化勲章受賞。第二次大戦後は、一切の公職、勲章などを辞退。戦争犯罪容疑者に指名されましたが、自ら「百敗院泡沫頑蘇居士」と戎名を定め、時局への姿勢を示しました。
27年県近代文化功労者、29年に水俣市、熊本市の名誉市民となりました。著書は約300冊に及び、「吉田松陰」「時務一家言」「大正の青年と帝国の前途」などがあります。
新聞記者を天職とし、記者道の権威確立に94年の生涯をささげました。


カテゴリ : 文化・歴史
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