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小池(こうじ)の竜蛇(りゅうへび)

 豊後(ぶんご)竹田(たけた)の豪族(ごうぞく)に美しい姫君(ひめぎみ)が誕生した。星の美しい夜に生まれたので清夜姫(せいやひめ)と名付け、父母はもとより一族や家臣(かしん)からも可愛(かわい)がられ、すくすくと成長して16才の春を迎えた。

 その頃、菊池(きくち)の城では若君(わかぎみ)に嫁を迎えようと方々(ほうぼう)に良い娘を捜していたが、清夜姫の噂(うわさ)を聞きつけ、家来をやって調べさせると、容姿(ようし)も心ばえも若君にふさわしい姫君であることが分かった。菊池家では、早速(さっそく)阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)に仲介(ちゅうかい)を依頼した。縁談(えんだん)はめでたく整い、春の終りごろ輿入(こしい)れの運びとなった。

 ようやく暖かくなったころ、竹田から滝室坂(たきむろざか)を通って、手野(ての)・山田(やまだ)と6人の腰元(こしもと)と警護(けいご)の武士達に付添われて、姫の行列は阿蘇の山々を眺めながら西へ西へと進んで行った。

 小池の池のほとりに差しかかった時、姫が

「水を飲みたい。」

と言われるので輿を止めたところ、姫は降りて池のそばまで行って、何を思われたか突然身を翻(ひるがえ)して池に飛込み、みるみるうちに蛇身(じゃしん)と化(か)して池の中に沈んでいった。成り行きに動転した腰元たち6人も悲嘆(ひたん)のあまり次々に入水(にゅうすい)して、すべて大蛇(だいじゃ)となったという。

 警護の武士3人は直ちに馬を走らせて、菊池の家臣たちの待つ車帰(くるまがえり)に駆けつけ、事の次第を伝えたあと引き返し、他の付人(つきびと)9人とともに小池の北山に登り、はるか竹田の空を拝(おが)み割腹(かっぷく)して果(は)てた。腰元の6体の大蛇は、赤池(あかいけ)・青池(あおいけ)・寄(よ)り池(いけ)・泡池(あわいけ)・壷池(つぼいけ)・鶴池(つるいけ)にそれぞれに分かれて棲(す)み、本池とともに「小池(こうじ)の七池(なないけ)」といわれる。

 その後、いつの頃からか下野(しもの)の男大蛇が、小池の池に愛を求めて通うようになった。黒川(くろかわ)の流れを遡(さかのぼ)って来て、松ヶ鼻(まつがはな)の往還(おうかん)を横切って小池の池に入ったので、雨の日は道が乾き、晴れた日には通り道が濡れていたと里人(さとびと)は伝えている。こうした噂(うわさ)をはばかつたのか、2体の大蛇は、波野(なみの)の小池野(しょうちの)の池に移り棲んだとも伝えている。

 また警護の武士3人と近侍(きんじ)の付人の墓と称する石が北山のおばねに今も残っている。小池の村人は旧暦の11月17日になると、七池の竜神祭(りゅうじんさい)を催(もよお)し、7つの竹筒に甘酒を入れて供養していたが、昭和20年頃からすたれてしまった。工藤家の近くに今も竜神がまつってあり、大切に供養されている。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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