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墓碑

西巌殿寺厨亮俊僧正

 明治10年、阿蘇谷に百姓一揆と薩軍の進入という二つの大事件が持ち上がった。
 西巌殿寺の住職厨亮俊は、農民たちに一気にも薩軍にも協力しないよう阿蘇谷を説得してまわった。これを心良く思わぬ者が薩軍に告げた、亮俊は薩軍陣地に引き立てられ、激しい拷問を受けた。
 指を折られ、歯をもがれ、逆吊りにされて責められたが、遂に正義の節をまげず、拷問に耐えた。
 2月13日に至り、竹田から進攻して来た官軍に助けられたが、その日のうちに息絶えた。四十四歳であった。
 西巌殿寺の本堂前に、この墓石は建っている。
  亮俊に次の歌がある
「こうしてこう吹きゃこう散るものと知りつつこう咲く山ざくら」

 

カテゴリ : 文化・歴史

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