ホーム > 土塁

土塁

概要

阿蘇登山の観光バスが杵島岳の下を通る時、ガイドが下に見える米塚を指して
「山頂から麓までを分けている線は集落の境界を示す土塁で、丁度山を2つに分けているので、山分けという言葉はここから生まれました。」と説明をするそうです。
阿蘇の各地で見られるこのような土塁は何の目的で、いつ頃構築されたものでしょうか。
構築の目的は放牧地と採草地の土地利用区分をはかり、利用権の異なる放牧地の境界を明確にし、放牧の牛馬が外の区域に逃げ出さないようにしたものです。時期は昭和7~9年頃でその間に多数の農民が動員されて一気に構築されました。当時の設計では底辺3m、高さ1.5m、上辺0.6mを基準としています。特製の備中鍬を使い芝土を角型に切り取り、梯形に積み上げる作業で大変な重労働でした。

阿蘇郡下で構築された総延長は数百kmにも及ぶと思われますが、正確な実測はなされていません。現在では有刺鉄線と鉄柱で容易に牧柵を作ることができますが、当時は鉄材は高価だっただけでなく、軍需物資としても貴重な資源でしたので人海戦術で永久的な土塁を構築することになりました。
当時は、大恐慌の時代で、土塁の構築作業による現金所得は農家の家計にとって大きく役に立ちました。

画像

参考

阿蘇ー自然と人の営みー

カテゴリ : 阿蘇の自然
索引 :

このページのURL:

TOP