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八地蔵菩薩

概要

昭和50年(1975)の7月13日、阿蘇市黒流で一つの除幕式が行われました。先祖供養費である八地地蔵菩薩慰霊碑と地蔵廊の除幕です。その碑は黒流の今町神社横の一隅にあります。
熊本市在住の家入志津馬の祖父慶太郎(黒流村出身)は阿蘇一揆に参加し、懲役刑を受け獄死しました。この一揆の話を聞かされて育った家入氏が祖父たち一揆参加者の慰霊を思い立ってから20年ほど経過していました。
家入氏が碑建立を黒流の人々に具体的に提案したのは除幕式前年の3月の頃でした。熱心な話し合いが続けられ、碑建立に賛成意見のほか、なぜ今になって一揆や処罰された者を顕彰するのか、寝た子を今更起こす必要があるのか、一揆の記念碑や顕彰碑では困る、一揆で打ち壊された遺族への配慮すべき、碑を共有地に立てるのには反対、などの意見が出されました。一揆当時における態度の違いや現在の立場から簡単には意見の一致を見ませんでしたが、最終的には旧黒流村全体の先祖の慰霊として有志の名で個人の所有地に建立することでまとまりました。家入氏起草の碑文についても修正がなされました。

碑文(碑文は縦書き)

八地地蔵菩薩の由来
古今東西を通じて人類の歴史は弱肉強食の輪廻であり宿命である。
明治10年時の権力と之と癒着させる金力に対し行政の正常化と金融の民主化を叫んで阿蘇山麓に蜂起した百姓一揆は今日民主主義の草分けです。近年暫やく吾が国歴史家により全国各地に是等先覚者の発掘顕彰が行われつつあるが、地下に蠢動する義霊の歓声を聞く思いである。吾が黒流村は一揆の中心地となり質量共に影響力甚大にして多くの犠牲者を出すに至れり。茲に事件以来百年を迎えんとして有志相寄り獄窓に懊死せる8名を八地蔵と名銘、全村先祖の霊と合して慰霊碑を建立、供養祭を行い村の守護神として永却に信仰せんとするものである。

犠牲者之略歴

橋本源太郎 黒川村八一三番地 四十四歳 終身刑 獄死
橋本休次郎 右 仝七九八番地 四十九歳 参年刑 右仝
家入慶太郎 右 仝八二六番地 四十五歳 弐年半刑右仝
岩下市五郎 右 仝八二一番地 四十五歳 壹年刑 右仝
村岡 惣市 右 仝八二三番地 三十六歳 右 仝 右仝
橋本安太郎 右 仝七九九番地 三十四歳 右 仝 右仝
佐渡 辰平 右 仝八三五番地 二十七歳 右 仝 右仝
橋本直太郎 右 仝八一八番地 二十八歳 右 仝 右仝
昭和五十年七月吉日
黒川村有志一同


除幕式には黒流約50人、阿蘇谷居住の縁故者20余人、黒流出身で熊本、大牟田、延岡、京都に在住する遺族20余人など計百人近い人達でした。黒流の除幕式の後、内牧の明行寺で供養祭が行われました。
阿蘇市には人々の苦悩を払い除ける地蔵菩薩像が120~150もあると推定されています。

参考

西南戦争と阿蘇

カテゴリ : 文化・歴史
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