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二百十日
更新日: 2012-04-09 (月) 09:36:55 (4393d)
夏目漱石は五高(現熊本大学)在任中の明治32年(1899)8月末~9月初めにかけ、同僚の山川信次郎と連れ立って阿蘇登山に出かけました。
小説「二百十日」はそのときの体験が素材になっています。
熊本時代の漱石は俳句に熱心でした。この阿蘇行でも俳句を詠んでおり、それらの句によって漱石のコースがたどれます。
当時は豊肥本線はまだ開通しておらず、立野から馬車にゆられて戸下温泉に向かい、そこで1泊。
翌日内牧温泉に投宿して火口見物に出かけています。
阿蘇神社にも参拝しました。
内牧温泉の宿は養神館といい、現在の山王閣です。そのときの部屋は今も大切に保存され記念館として公開されています。
ちゃぶ台には恵比寿ビールが2本置かれており、思わずニヤリとさせられます。
というのも作品の中のお手伝いさんとのやり取りが思い出されるからです。ビールを注文したところ「ビールは御座りませんばってん、恵比寿なら御座ります」。
どうやらビールという名前を知らなかったためのすれ違いのようでした。
翌日阿蘇神社を後にいよいよ火口をめざします。
ところが二百十日の暴風雨で道に迷うわ、穴には落ちるわで散々な目にあいます。
灰に濡れて立つや薄と萩の中
行けど萩行けど薄の原廣し
道に迷った場所は阿蘇山3合目の坊中キャンプ場近くとされ、「二百十日文学碑」が建っています。作品は圭さん、碌さんのテンポのよい軽妙な会話でほとんど占められています。ことに世の中の金持ちや華族にぶつける怒りは痛快そのもの。漱石の社会正義感が独特のユーモアで歯切れよく語られています。これは皮相な文明開化や拝金主義に対する漱石自身の批判と受け取れます。作品も「二人の頭の上では阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している」で結ばれています。
写真
参考
阿蘇の達人 ~阿蘇をつくった神々と歴史~
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