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一の宮町と役場所在地

概要

新町名は、阿蘇地方事務所の合併試案の新聞発表において、「宮地町か?」という報道があり宮地町以外の3村からは吸収合併の印象を受けるという声が生じていました。この合併は合理合併であり、4町村は対等の条件にあるという認識があったからです。宮地駅は人口6千人、他村より格段に大きいのですが、3村を合わせるとほぼ宮地町と同じ人口でもありました。
その間の事情をふまえ、会長が提案したのは「一の宮町」の新町名でした。その理由は、この4町村の中心に、肥後国一の宮と呼ばれて来た阿蘇神社が鎮座しており、神社とのゆかりも最も深かいという伝統を共有してきたことによります。
しかし、全国各地に一の宮の伝統はあり、一の宮を称する町村も存在するので、「肥後一の宮町」とする案もありましたが、結果は原案通りの「一の宮町」となりました。
新役場の所在地に関しては、国の新町村建設計画の作成要領でも、交通その他の事情を考慮するとともに、建築については補助・起債の方向も未定でしたので、自己財源によるものでなければ新築しないように指導しています。
会長は新築・落成し、日常業務を開始している宮地町役場を庁舎を新町の庁舎として使用したいと提案しました。

  1. 新町のほぼ中央に位置し、県道と阿蘇神社境内に接し、住民生活に便利である、
  2. 本筋2階建庁舎は511.5平方㍍(155坪)あり、合併後の4町村職員全部を収容可能で、合併当日から日常業務に支障を生じない。
  3. 新町発足後の新庁舎新築等の建設費が節減できる。
    というものでした。周辺に存在する他の3村のどこに新庁舎を定めても地理的に偏在し、交通・生活に不便となることは明らかで、他ではいずれも新築しなければ収容できないことは明白でした。
    町村合併において、町名決定には参加町村の面目がかかっており、役場庁舎の所在地決定には実利が絡んでいるものですが、この合併において異論がなかったのは、宮地町と他3村の地理的環境、伝統共有が大きかったと推察できます。

参考

阿蘇一の宮町史 戦後農業と町村合併

カテゴリ : 文化・歴史
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