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たぜんさんの草葉(くさば)の陰(かげ)

 いつのこつかわからんちいった昔の話たい。たぜんさんちゅう男がおった。面白(おもしろ)か男だったらしか。阿蘇山の麓(ふもと)の村に住んでおって、あまり上手(じょうず)という訳ではなかが、猟(りょう)が好きで兎(うさぎ)や鴨(かも)をとりに行くと、弾はあたっとらんとに兎はひっくり返えっとる。1発の弾で何羽も鴨がとれたり、田んぼで餌(えさ)をとっていて、凍りついた鴨を一度に何十羽も生け捕りにしたり、キツネに騙(だま)されたり、なんとも運がいいやつで、なんともとぼけた風の男なんじゃわい。これはなあ、お盆の頃のお話たい。稲も株(かぶ)を太らせて、さやさやと田んぼをわたる風の吹くままに葉先(はさき)をなびかせておる。畑のとう黍(きび)も実(みの)ってきた。家では、息子夫婦(むすこふうふ)らが春に収穫(しゅうかく)した麦のしのを始めるんで、庭先にねこぼくをいっぱいひろげる用意をしとったったい。

「今年は田も畑もよか按配(あんばい)、世話なしばい。」

たぜんさんな息子夫婦に声掛けて、町に出かけらした。もうすぐ盆が来るんで、いろいろと買い物せにゃならん。宮地の町も、何かしらせわしか気配(けはい)のしとる。阿蘇神社の鳥居(とりい)をくぐって楼門(ろうもん)の前にやって来ると、柏手(かしわで)を打って家内安全(かないあんぜん)と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願うた。仲町(なかまち)の店はどこも賑(にぎ)わっていた。ろうそくや線香(せんこう)は仏具屋(ぶつぐや)、それに素麺(そうめん)、盆だらは乾物(かんぶつ)の店で買うた。

「今年のでけ具合(ぐあい)はどげんな。風の吹かんならよかなあ。」

乾物屋のおかみさんは、にこにこ顔でたぜんさんに会釈(えしゃく)ばさした。おかみさんのにこにこ顔をみると、よけいにまた何か買わんと悪か気のする。

「あ、忘れとった。あのお…。」

と、言いながら、店の中を見回し、はじめから買う予定の品物の様な振りをして

「いりこと昆布(こんぶ)、それに鰹節(かつおぶし)も、もろとこかい。」

と、言うた。

「またいっぺんに余計(よけい)買(こ)うてきたなあ。」

と、うちのおかみさんは言うに決まっとる。ばってん、構(かま)うか

「せっかく出かけて来たっだけん、ついでたい。」

そげん言うち、うっちょこたい。

「にこにこっとさるると弱かったいね、俺は。ま、それがおれの良かとこだもんな。」

たぜんさんな自分に言い聞かせる様に、独(ひと)り言(ごと)を言いながら店を出らした。店に入る度に入の良かたざんさんな、声を掛けられてついつい長うなってしまうのだった。

「乾物屋のおかみさんは、時に愛想(あいそう)が良くて優しいかもんな。おまけによか器量(きりょう)たい。商売人にゃ打って付けちゅうもんばい。」

気がついて最後の店から外に出てみっと、いつの間にかうす暗うなっとる。宮地ん町に出て来たら、必ず寄ってみるのが出口のみいさんげたい。ちょいとここで一杯(いっぱい)引(ひ)っかけちからでなきゃ、家さんにゃ帰らんとが俺の主義(しゅぎ)だもんな。

「みいさん居(お)るかいた。」

暖簾(のれん)ば分けて店に入ると若いもん3・4人が隅(すみ)のほうで飲みよらした。3・4人といういい方は曖昧(あいまい)だが、1人2人いつもうろうろと出たり入ったりするもんで、仲間が何人なのかはっきりせんとたい。とにかくたぜんさんな酒ば、かなりのしこ飲んだらしか。

「もう、ようはなかな、そげん飲んじゃ体に悪か。」
「文句(もんく)は言わんでつぎなっせ。」

たぜんさんな時どきゃ目ばつぶり、盃(さかずき)ば差し出すとたい。その内いい加減(かげん)、酔(え)くろうち、とうとう眠りかぶらした。たぜんさんな、よか気持ちになっとらした時たいね。若かもん達もだいぶ酒がはいって、話し声が高うなってきた。おまけに今まで隅っこでおとなしく飲んでいた痩(や)せぎすの青年が突然(とつぜん)、声高(こわだか)に誰かとはなしに絡(から)み出し、手には負(お)えぬ程しつこく、人の膝(ひざ)や体に触れたり押したりして、他のものも困惑(こんわく)の体(てい)らしく、あれこれと話をそらすとばってん、なかなか納まるふうでんなか。たぜんさんな気持ちようし、ちょっとうるそうなってきたもんで、眠りかぶったままおらばした(叫んだ)たい。

「ああ、せからしか、静かにせんかい。」
「じいさんな、何のかの言わんで、おけんかいた(起きなさい)。そぎゃんとこで寝とっと、風邪(かぜ)ばひくばい。」

とうとう、青年達とたぜんさんの言葉のやり取りになってしもうた。たぜんさんな眠りかぶっとるもんだけん、まともに話にゃならん。最後にゃ若かもんが面白がって、たぜんさんの頭ば、すこたくり剃(そ)りあげてしもたちゅうこったい。なんにもわからんごつ、眠りこんどらしたたぜんさんな、夜明けに頭がすうすうするもんで頭に手をやってみっと、つるつる坊主(ぼうず)になっとる。

「あれあれ。こりゃどうしたこつかい。いつんなかま、こげんなったっじゃろうか。」

自分の頭をなでなで、たぜんさんな考えさした。
“ははあ、あんまり酒ば飲みすぎて死んでしもたつかん知れんばい。そうそう間違いなか。三途(さんず)の川ば渡りやすかごつ、頭ば剃ったばいな。とんと知らんじゃった。こりゃまどうし、早う家さん帰らにゃ皆が心配するこっじゃろ。そんうえ、盆の買いもんにいったまんま死んだじゃ買うたもんな無駄(むだ)になるちゅうこったい”
 たぜんさん、頭がすうすうするのと酔(よ)い覚(さ)めの気分悪さが手伝って、もやもやする頭を抱えながら立ち上がったっちゅうわけたい。

「さてと、わしがはよ帰らんとば、家んもんな心配しとるかもしれん。そうそう、麦(むぎ)じののしこば(麦あやしの用意を)しよったき、どげなふうにがま出すか、見届けておかにゃならん。わしが居(お)らんでん、立派(りっぱ)に後ば継(つ)いでもらわにゃならんきなあ。」

 ぶつぶつ口の中で呟(つぶや)きながら、瀬戸(せと)さん(瀬戸の方へ)歩き出したたぜんさんの足取りは、まだ確かでなか。フラフラしながら歩いているうち、瀬戸の小川んところまでやって来さした。

「ははあ、これが話に聞く三途(さんず)の川ばいな、三途の川もちょろちょろか。」

飛び渡って目を上げると、石段があってお寺の門が見え「極楽寺(ごくらくじ)」と書いてある。

「あらあ、もう極楽(ごくらく)さん(に)来てしもたちゅうわけかい。そりゃちっと早すぎた。極楽さん行くとは行かにゃんばってん、どうでん一回は、家さん戻らにゃでけんとたい。」

 裏道(うらみち)ばして田んぼの畦道(あぜみち)を通り、やがて村の入口にさしかかった。向こうから馬を引いて、隣の若いもんがやって来たたい。

「こりゃいかん、朝帰(あさがえ)りば見らるっと何ば言わるるかわからん。いやいや死んでしもたもんが見ゆるはずのなか。」

 それでもたぜんさんな用心(ようじん)ばして、そろそろ身ば縮(ちぢ)めて歩きよらした。

「おっさん、どげんしたつかいた。怪我(けが)でんしたつじゃなかつね。」

たぜんさんのたまがらしたこつ。

「あらあら見えてしもうたばいな。こりゃ大切。ようと隠(かく)れとらにゃいかんなあ。死んでしもうたなら、魂(たましい)のさろきよっとだけん、誰にもこっちの姿は見えんち思っとたつに、見ゆっ時のあるなら、そりゃ、幽霊(ゆうれい)ちゅうわけな。」

たぜんさんなそれこそ、そろっと我が家に近づいてみらした。裏の杉の生垣(いけがき)の間をくぐり抜け、馬小屋の中に入りこんで、入口の朝草(あさくさ)の小積(こづみ)みに隠れて、息子達の仕事ぶりをじっと見とらした。

「ようがまだしよるよ。もうわしの出る幕(まく)でもなか。やっぱよかったな、家さん戻ってきて。ようと見届(みとど)けたとき、これで極楽さんいけるばい。なまんだぶ、なまんだぶ。」

 息子やつは、ちょうど朝草ばやろうて思うて、馬小屋に近づいたところ、ぶつぶつと声の聞こえちくる。草の陰から坊主頭(ぼうずあたま)のごたっとが見ゆるもんだけん、かきわけち見ると、おとっつあんのしゃごじょらすちじゃもん(しゃがんでいる)。

「おとっっあんな、なんばしょっとな。頭はすこたくり剃ってしもうて…。」
「しいーっ、だまっちょらんかい。わしゃあ、ゆんべは酒ば飲みすぎち死んじまったたい。今朝な極楽行く前に、どうでんこうでん家さん帰って見らにゃんと思うち、お前の様子ば草葉ん陰から見よっとじゃが。」
たぜんさんな、そげん言うち、また草ば、頭からかぶらしたげなたい。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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